40代からのフリーランス

Ruby on RailsとiOS(Swift、Objective-C)でスタートアップのサービス開発を支援しています。

インド人と仕事をした話

21世紀も始まったばかりの頃のお話です。

(時は23世紀初頭・・・っていうナレーション思い出した)

 

昔、インド人と仕事をした時があります。

当時の私は、大手メーカーさんで開発を手伝っておりましたが、

メインの発注先がインドに作った現地法人でした。

 

当時は、オフショアブームって言われるくらいには

海外の安い労働力を使って、開発費を抑えようっていう

時代だったようにも思います。

(安くなったかは知りません)

 

そのプロジェクトもかなり火を吹きました。

あとでわかったのですが、インドの現地法人が確保したエンジニアは

数名を除いて、あとは新人レベルだったそうです。

 

ぶっちゃけ、コード見れば、そりゃそうだよねって思うレベルです。

やたらめったらパラメータが多いし、機能の細分化なんて全くありゃしません。

 

そんなこんなで、現地よりエース(まだマシな)エンジニアが

1名日本に来ることになりました。

ブリッジエンジニアって奴ですね。

 

とは言っても、我々がブリッジエンジニアのブリッジを更にするという

もうわけがわからない状態ではありましたが・・・。

 

言語は、もちろん英語です。

私、英語ペラペラです。(大嘘)

 

当時は、Google翻訳なんていいものなかったので、

使ったのはエキサイト翻訳でした。

 

www.excite.co.jp

 

あとは、ひたすら筆談です。

こちらは日本語を入力して、翻訳。

 

意味がうまく伝わらなかったら、日本語のニュアンスを少し変えて翻訳。

あちらは、英語を入力して翻訳。

 

時間はかかりましたが、意思の疎通は取れました。

そんなこんなで、デスマーチやりながらも、なんとか乗り越えました。

 

その後どうなったか?

 

とりあえず、製品のファーストバージョンは彼らの作ったものが搭載されました。

(かなりの後始末を日本側でやりましたけど)

次のバージョンは、重要な部分を日本側で開発しました。

更にその次のバージョンは、完全に日本製となりました。

 

というわけで、オフショア開発としては

典型的な失敗プロジェクトに終わりました。

(もちろん、失敗とは言いませんが・・・)

 

今はその大手メーカーはオフショアやっているかは知りません。

 

色々問題点はあったと思いますけど、

失敗して成長するものです。

 

製品は無事出荷したわけですし、

致命傷にはならずに済んでいます。

 

このプロジェクトは、ある意味私の転機だったかもしれません。 

良い経験をさせてもらいました。